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「笑地点」の歴史を延々と語ります

私は「笑ポイント」が好きで主流番組、新年の専用から「常時テレビ」瞬間の端まで見ている。そういった「笑ポイント」ですが、私の知る「笑ポイント」の実績をしゃべりたいと思います。
 「笑ポイント」は1966年5月に立川談志師匠が司会で始まりました。当時のメンバーは5代目三遊亭円楽師匠、桂歌丸師匠、春風亭梅橋師匠、三遊亭小円遊師匠、林家こん平師匠でした。後、4年ほど経って談モチベーション師匠のブラックユーモア方角に隊員みんなが反発して、全て降板することとなります。そしたら半年後者、談モチベーション師匠は降板し、2代目司会やつとして、前田武彦くんが登用されます。これを機に降板した隊員が梅橋師匠を除いて徐々に引き返します。今日「笑ポイント」の最先駆けやつの林家木久扇師匠が関与したのもこの頃です。ここで雑学ですが、「笑ポイントの件」は往年歌詞があり、その作詞をしたのが前田くんでした。
 そうしたらしばらくして、司会は最初三波伸介くんになります。主人の独特な司会は、聴衆に受けプログラムは長生きプログラムへとなります。そうして、1977年、5代目円楽師匠が落語に専念する結果プログラムを降板行う。それからしばらくして、6代目三遊亭円楽師匠が関与行う。それから2年後に三遊亭好楽師匠が関与行う。その来季に、小円遊師匠が急逝し、その2年後の年の暮れに三波くんが急逝し、来季から5代目円楽師匠が司会やつとなります。主人の司会は、それから20年以上貫くことになります。そうしておんなじ年に、好楽師匠が降板し、三遊亭小遊三師匠が関与行う。その来季に、30年以上座布団運びをする山田隆夫くんが関与行う。それから4年後に好楽師匠は引き返し、しばらく隊員は固定されます。後2004年にこん平師匠が難病に倒れ、しばらく座布団は余裕でしたが、後、林家たい平師匠が代理として関与行う。それから通年し、円楽師匠が調子を乱し、隊員で司会を代理人行う。その1年後者、円楽師匠がプログラムを卒業行う。そうして、歌丸師匠が司会やつとして、
それを機にたい平師匠がオフィシャル隊員として、春風亭昇太師匠も関与行う。それから10年後者、歌丸師匠がスタミナの限界を理由にプログラムを卒業し、昇太師匠が司会やつとして、2代目林家三平師匠が関与し、今日に至ります。
 「笑ポイント」はこれからも司会やつや隊員を何回も変え、末永く貫くことでしょう。